あの日、2018年7月10日。
朝に鳴った電話は、彼のお母さんからだった。


「今、〇〇、手術中なの。緊急手術でね」


未だ布団の中の私はよく、理解出来なかった。
これまでにも突然入院した事が二度程あったが、何れも緊急手術が必要になるような病気では無かった。
戸惑う私に、お母さんは言った。


「大動脈解離で」


・・・駄目だ、と思った。

真っ先に脳裏に浮かんだのは、ドラゴンボールのブルマの声優さんである鶴ひろみさん。高速道路の路肩に停めた車内で亡くなられていたその死因が、大動脈解離だった。

命を助ける手術をしてもらっている、とのお母さんの言葉に車で病院へ向かった私は、案外落ち着いた様子のお母さんと彼のお姉さんの姿を見て、もしかしたら助かるのかもしれないと、思ったが。
それはお母さんに、大動脈解離になりながらも助かり社会復帰を果たしているご友人が居たからだった。
だから、亡くなる事も多い病気だとは、言い出せなかった。
だが、私が信じなくてどうする、とも思った。助かると信じて願おう、天国の彼のお父さんと猫ちゃんがきっと、助けてくれる。そう信じようと、思った。

・・・予定時刻になっても一向に終わる気配の無い手術。
夜中に自宅で突然の激痛に襲われ、緊急搬送され手術が始まってからもう、15時間が過ぎていた。
そして。
命は取り留めたものの、状態の良く無いまま管に繋がれている彼と漸く、集中治療室で対面した。
自宅でお母さんに助けを求めた時には既に痛がっていたと云う足が、冷たい。乖離に依って、血がうまく巡っていないままだった。
手術の途中、助かっても車椅子での生活になる可能性と、透析の必要性を説明されていた。
それでも、命さえあれば、生きてさえいれば、私が彼の足となって何処へだって一緒に行ける。だからお願い、目を覚まして。

ろくに眠れぬまま別室で朝を迎えた私達は、先生に呼ばれた。そして。
血が巡るように手を尽くしたが、彼の臓器の機能は改善せず。
数時間の命である事を、告げられた。
このまま少しずつ身体の機能が弱まっていくのを、待つしか術が無かった。
せめて、最期の時まで傍に居たい。温かい彼の手を握っていたかった。
私にはそれすらも、叶わなかった。集中治療室じゃなければ、寄り添い看取る事が出来たのに。

「こんな事なら、もっと早く呼んであげればよかったね・・・」

彼のお母さんが、そう呟いた。
彼は死を覚悟していたようで、先に死ぬかもしれない親不孝を詫びたそうだ。
私の事も、少しぐらいは気に掛けてくれただろうか。
手術に入る前、漸く鎮痛薬が効いてきたのか、会話も出来てそこまで痛がる事も無かったとお母さんから聞き、少し救われた。

その日の夜、彼は一度も目覚める事の無いまま、旅立った。
誕生日を約二週間後に控えた2018年7月11日。
36歳だった。











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