彼が亡くなった日から、アプリを利用して毎日、日記を書いている。

今のこの感情や想いを余すこと無く書き残したくて始めた日記だが、特に彼の葬儀を終えるまでのあの数日間は、半年が過ぎた今になって思い起こせば少々、異常だった。

日記だけで無く、“彼との時間” を記録する事に執着していた私は、彼の好きな曲で彼を送り出す事も残さなければと考え、出棺前、録画ボタンを押したスマホをパイプ椅子に伏せて置いていた。

・・・一度も再生していないそれは、消す事も出来ないまま今も、動画として残っている。
再生など、出来る筈も無い。とても、聞けない。
彼のお母さんの、最愛の息子の名を呼ぶあの悲痛な声を私が忘れる事は、無い。

話を日記に戻そう。
私は日々、日記を通じて彼にいろんな事を話している。今でも毎朝、LINEもしている。
だから、此処へ私が来る時と云うのは余程行き詰まっている時だ。
実は暫く、このブログの存在さえも忘れていた。
それは私にとっては良い事で、少しはストレスが軽減されているのか、100日振りに月のものがやってきた。

数少ない友人がくれた寒中見舞い。
会いに来てくれた古い知人が、誰にも言えなかった悲しみや苦しみを聞いてくれた事。
本当に、本当に有難い。

ありがとう。





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